先日、韓国ドラマ好きの友達A子ちゃんと楽しくお酒を飲んでいた。怒られるかなと思いつつもある告白をした「A子ちゃんが勧めてくれたドラマ、韓国語が聴き慣れんけん吹き替えで観たけどよかったよ〜」そう言うとA子ちゃんは今にも殺しそうな目で私を睨んでいた。
分からないという人に一度説明しておきたいのだけど、世の中には字幕派、吹き替え派がいるらしい。案の定、韓ドラが好きなA子ちゃんは字幕派だ。生の声を聴きたい気持ちはわからなくもない。でもね、皿洗いをしながら、料理をしながらじゃ字幕読めないしさ。ながら観について話すも、さらに睨みを効かせてこちらを見てくるA子ちゃん。吹き替えに親でも殺されたのか。ながら観というこちらの態度が気に食わないのか。彼女は納得いってなかったけど、それだけ私の生活に映画やドラマは身近なものだ。
どうでもいいだろうけど、そんな私は派閥に属さず臨機応変型だ。英語以外の海外ドラマは基本的に吹き替えがあると助かる。映画は座って観るけど、長時間拘束されるドラマはながらで観るというスタイルが定着してるということもある。字幕を1つでも逃せば追いつけない。そして、聞き慣れている英語に比べると他の言語は少し耳が痒くなる。
それでもハリーポッターの前半は吹き替え版を観て育ったし、ジャッキー・チェーンの地声を私は知らない。どうやらそれを受け入れられない層が一定数いるということはなんとなく知っていたけど、日本の声優ってめちゃくちゃ優秀なことを忘れてないか
映画好きのおっちゃんたちは、80年代のブルース・ウィルスの声優は誰が適任かで盛り上がることはできるだろうし、洋画劇場の前は今回はどの人が声優をしたとかって特集もあった。近年の多くはPR目的で俳優やアイドルが声優をすることが増えたけど、今と違った形で洋画の声優界は確実に潤っている時代はあったのだ。
そんな時代を踏まえて、A子ちゃんが勧めてくれたドラマの吹き替えはぴったりで楽しめたのだ。日本の配給側のやる気が見えてまたいいと思った。そうやって熱く語ったけど、彼女はしばらく私を睨み続けてる。
とは言えど吹き替えであれもこれも観てる訳ではないし、もちろんハズレがあることは珍しくない。ハリー・ポッターの前半は吹き替えで育ったと話したけど、3作目以降は声変わりした設定に戸惑いやめた。
ついでに言うと、機内映画の吹き替えの手抜き具合には本当にやになる。権利の問題とかで、本家の吹き替えが使えないとか、新作だから吹き替えが製作されてないとかだろう。だから私は飛行機では映画は観ないし、観たとしても吹き替えは選ばないようする。
冒頭にも話したように、私はA子ちゃんに罪悪感を持ちながらこの話をした。「吹き替えで観る」って行為自体が、なんだかズルをしてるように感じていた。子供の頃、ボウリング場でガターにならないように付けてもらっていた柵が頭によぎる。吹き替えがハンデなのかズルなのかどっちでもいいけど、まじでどっちでもいいし、どっちも楽しいじゃないか。
そもそも私が映画を好きになった原点は、テレビで放送されていた洋画たちや、夕方にあっていたどこかの国のミニドラマとか、ずる休みをした日に行くビデオショップだ。字幕なんて読める歳じゃなかったし、(当時はVHS)テープが擦り切れるほど借りた「アダムスファミリー」や「チャイルドプレイ2」「奥さまは魔女」は全部吹き替えだ。気が向くと時々副音声にして実際に俳優の声を聞いては、この声にこんなキャラクターの声優を起用するなんてすごい!とキャスティングの想像力にゾワゾワした。楽しむ角度は年々変化し、そうやって私は映画を好きになったし、そうやって育った。吹き替えなんてなんか言えるはずがない。
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