デットラインが迫ると昔から“現実逃避“をする癖が未だに治らない。
学生時代、テスト期間中から逃げてはチャリンコでツタヤに出向く女子高生だった。映画をレンタルすることもあったが、まとめて海外ドラマのDVD-BOXを大人買いすることも多々あった。映画の内容はほぼ頭に入らなかった。いけないことをしているという気持ちはあったのだ。もちろん勉強内容も頭に入ってないため、すごい点数だった。
今は、ツタヤに行かなくてもボタン1つでなんでもできる。10年経ってもやることは変わらないが、“現実逃避“と題された私のサボり時間にはここ数年でライナップが変わって来た。
最近、クリエイター並みにパソコンと向き合う時間が多い。その割にやらなきゃならない企画も進まないし、書きたいことは降ってこないし、やる気も出やしないの三拍子だ。そんなスランプな私の現実逃避は片手でできるのだ。
片手でできる便利さ反面、ツタヤやゲオなどのレンタルビデオ店が潰れるのではないか心配である。アメリカからやってきたNetflixやHuluなどの動画配信サイトの勢いすこぶるいい。このことについて「書こう書こう」と練っている最中でさえ、勢いよく進化するもんだから、書けず仕舞いだった。
20年以上視力の良さだけが自慢だった私だが、これによってその道は狂わされた。大学生時代の中国人ルームメイトの就寝の早さに合わせることができなくなるくらいハマってしまって、しまいには暗闇の中で観まくって自慢の視力を落とした。そんな現代っ子が言うもんだから信じてほしい。すこぶるいい。
もう説明不要のような気もするが、これらのサイトは映画、海外ドラマ、日本のバラエティに限らずオリジナル番組が熱い。特に「テラスハウス」も配信されていたNetflixや、プライム会員には同じみのAmazonTVに関してはドラマシリーズがやばい。ここ数年、アメリカのテレビドラマの賞レースには、ここらへんの作品が食い込んでくるのは珍しくない。
従来は、TVスターからハリウッドスターに上り詰めるのがシンデレラストーリーだったが、どうやらそれも少し変わってきたようだ。ハリウッドスターである、ケビン・スペイシーは数年前からNetflixを放送局としてドラマ「ハウスオブカード 野望の階段」で主演・製作総指揮にまじっている。
AmazonTVでは、あのウッディアレンもとうとう参戦したというのはニュースにもなった。どうやらネットという土俵はテレビに比べると、いろんな意味で規制がしやすいようだ。テレビと違って、放送枠がないため視聴者が観たい時に鑑賞でき観たいものを選ぶため、際どい内容でもやりやすい。制作側と視聴者側で、かなりコミットしやすい。おそらく、放送局側にヤイヤイ言われにくいことから、ウッディアレンのような癖のある監督でも参戦しやすいし、むしろ彼はこっちの土俵の方がいいのかもしれない。
5年ほど前にロサンゼルスとニューヨークに旅行に行った際に、バス停や地下鉄のいたるところで見た広告にはもうすでにそれらしきものがどでかく載っていたような気がする。ちなみにNetflixやHuluの本社はどちらもカルフォルニアだ。その時は気づかなかったが、この勢いはおさまることがないらしい。
数ヶ月前には、ブラピもNetflixオリジナル映画に参戦していた。これは、なんてこったい事件だ。もう映画館に行かなくても、最新のブラピに出会えるのだ。映画館は潰れるとは思いたくないが、将来そうなるではないのかと正直震えている。
ツタヤで、ジャケットの裏側を読んでは何枚借りるか吟味する楽しさをここ数年やっていない私が言うのもなんだが、なんだかテクノロジーの進化が恐ろしい。
どこかで「現代人の1日の情報量は平安時代の1人の一生分」と聞いたことがある。現代の情報量がここだけとは限らないが、少なくとも私とこの世界で考えると、平安時代の人の何人分の人生だろうと目が回る。どんどん出てくる作品に追いつけないのが嫌になって、今私は現実逃避をするために結局のところNetflixで「フレンズ」を何度も見返しているところだ。
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